千里の道をまだまだ走る~ときどきひとやすみ~

分析機器、医療機器の日英翻訳をしています。翻訳者生活10年目に入りました。翻訳や日々のつぶやき(料理・パッチワーク・読書)など、いろいろ書いていきます。

JTFジャーナル5/6月号を読んで考えさせられたこと

*旧ブログ(アメブロ)からの転載・修正記事です。

こんばんは。
もうすでに23時過ぎ。

定期的な更新を宣言しておきながら、あやうく今日一日何も書かずに終わるところでした。

さて、少し古い話題になってしまいますが、先週、JTFジャーナル5/6月号が出ましたね。

今回新しい連載がいくつか始まり、どれもとても興味深い内容だったのですが、その中でも特に心に響いた記事があります。

井口耕二先生の「続・翻訳者のための作戦会議室 第1回」

ドキリとさせられた箇所が2か所もありました。

翻訳会社の求人情報に「機械翻訳のポストエディット」が増えているのも心配だ。機械翻訳のポストエディットは翻訳とは大きく異なる仕事だが、翻訳会社が求人していることもあり、翻訳者になる入口としてこの仕事を選ぶ人が出かねないと思われるからだ。機械翻訳のポストエディットや質の悪い翻訳のリライトなどを続けると、翻訳者の基盤である言語感覚が狂ってしまう。つまり、そのような仕事をしていたら、翻訳者になる道は閉ざされてしまう。そうとわかっていて選ぶのなら本人の自由だが、誤解で選んでしまう人はかわいそうである。

確かに、翻訳者になる入り口として、この仕事を選んでしまうなら、プラスになることよりもマイナスになることの方が多いでしょう。
最初から機械翻訳ありきの翻訳をみてしまったら、それが普通に思えてしまうのだろうなというのはずっと思っていました。

「質の悪い翻訳のリライトを続ける」ことについても、実はかなりタイムリーな話題でした。

以前、副業として、チェッカーの仕事をしているということを書いたと思います。
日英・英日の翻訳をこれまであまり見てこなかったため、プロの翻訳者による訳を見ることで少しでも勉強になれば・・という思いから始めたのですが、これが、思っていたようにはいかなかったのです。
お仕事をくれる会社が小さいからということもあるのですが、あまり質の良い翻訳が来ることがなく、毎回リライトの嵐。
勉強になるどころか、何が正しいのか、よくわからなくなってきて、勉強としてやるのには無理があると思い始めたところでした。

勉強代を捻出するためと割り切って受けるのはありだと思っていたのですが、「翻訳者の基盤である言語感覚が狂ってしまう」、「そのような仕事をしていたら、翻訳者になる道は閉ざされてしまう」というところを読んで、自分の今の状況を言われているようでヒヤリとしました。
「昼間の仕事で言語感覚を磨いているから大丈夫!」だとは、とても言えません。

仕事を出してくださる方とは今後もお付き合いを続けさせていただきたいと思っていますし、ちょっと別の思惑(?)もあるのですぐに辞めることは考えていないのですが、少し自分の立ち位置を考えないといけないなと思いました。

そして、さらに、

業界の状況を視野にいれつつ、自分が10年後や20年後、あるいは30年後にどういう翻訳者になりたいのかを「考えて」行動すべきだと思う。自分はどういう仕事がしたいのか、そもそも、なにがしたくて翻訳を仕事に選んだのか。この原点を忘れて情報に流されたのでは、自分が目標としているところにつながっていない道に進んでしまうこともありうる。

もう、この部分を印刷して、見えるところに貼っておこうかとおもったくらいです。

私は今年で40歳になります。
10年後、20年後はもちろん、うまくいけば30年後でも、まだ現役で活躍できる可能性もありそうです。

まだ翻訳者としての人生は始まったばかりで、ある程度の目標は設定したものの、やや現実的ではない、不安定要素もあることは否定できません。

ここについてももう少し考えなくてはいけないなと思いました。

私自身も、翻訳者目線で見ると機械翻訳を否定的に見てしまうのですが、編集者目線で見ると、実はものすごく面白い、興味深い分野だと思っていたし、今でもそう思っています。 (機械翻訳を褒めているわけではないです、もちろん。)
機械作業は大好きだし、効率化を考えるのが楽しくて仕方なかったです。 Tradosの作業も、ポストエディットも大好きだし、関われるものであれば関わっていたいと思っています。(それがチェックを続けている理由の一つでもあるのですが)

ただ、ここで、忘れてはいけないのは、自分が何をやりたいのか? 機械翻訳やポストエディットに関わる仕事なのか、翻訳者として翻訳をすることなのか?

それは、迷いなく、「翻訳者として翻訳」することです。

だからこそ、「原点を忘れて情報に流され」ることなく、「自分が目標としているところにつながる道」に誤って進んでいかないようにしなくてはいけない・・

この言葉を肝に銘じておこうと思いました。