千里の道をまだまだ走る~ときどきひとやすみ~

分析機器、医療機器の日英翻訳をしています。翻訳者生活10年目に入りました。翻訳や日々のつぶやき(料理・パッチワーク・読書)など、いろいろ書いていきます。

「母校」ということば

*旧ブログ(アメブロ)からの転載・修正記事です。

年をとったということでしょうか?

「母校」ということばに、懐かしいような、胸が痛くなるような、何とも言えない特別な想いを抱くようになったのは、比較的最近になってからのことです。

小学校の校歌の歌詞に「母校」ということばが入っていましたが、当時は「母校って言われてもね・・」くらいにしか考えていませんでした。

娘と息子は今、私が卒業した小学校に通っているのですが、いろいろなイベントで学校へ行くたびに、自分の小学校時代のことを懐かしく思い出します。
あの頃はああだったと比較してみたり、当時は高く感じた水道の蛇口が思ったよりも低くて驚いたりと、記憶と現実とのギャップも楽しかったりします。

そんな懐かしさを抱いて歌う校歌はとても感慨深いもので、その時に初めて「母校とはこういうものなのか」と実感しました。
子供の頃の記憶はたいしたもので、長い間歌っていないのにもかかわらず、メロディも歌詞も、忘れてはいませんでした。

一方、夫の方は、子供達の通う小学校とは別の小学校を卒業しているせいもあるのか、性格の違いもあるのか、格別な想いを抱いたりすることも、母校ということばにも、何の感慨もないようです。

再来年、娘が中学生になるのですが、やはり私の母校に通うことになります。ただ、中学校については、今はまだ何の想いもありません。
母校に対する想いというのは、場所と結びついているからなのでしょうか? 中学校に足を踏み入れたら、何か特別な感情が湧いて来るのかもしれませんね。
ちなみに、中学校は、夫の卒業した中学校でもあります。夫がその時どんな想いを抱くのか、密かに楽しみにしています。

今回なぜこんなに昔を懐かしむような話を書いているかというと、先週末に高校を訪ねたことによります。 高校は、私にとってとても大切な時間を過ごした場所です。

私が卒業した高校は少し変わった高校で、県立ですが短大の付属で、普通科ではなく英語に特化した高校でした。
学区は関係なく神奈川全域から人が集まり、先生も生徒も個性的な人が多く、本当に面白い高校で、本当に楽しい3年間をすごしました。 多感な時期を同じ目標に向かって共に過ごした友人は、本当に大切な存在です。
また、この学校で身につけた英語力が私の英語力の基礎になっています。

私だけでなく、あの高校を卒業した生徒は皆、おそらく私と同じかそれ以上に大きな愛着を学校に対して持っているのではないでしょうか。

そんな母校も、県立高校統合の波にのまれ、数年前に閉校し、名前を変えて別の名前の高校に生まれ変わりました。今でも同じような校風は受け継がれているのかもしれませんが、新しい学校に対しては、あの校名、あの場所に抱く懐かしさを感じることができません。

久しぶりに訪れた地には母校はすでになく、跡地は分譲されて広い住宅街になっていました。

なくなってしまったからこそ、いっそう懐かしさが募るのでしょうか。


室生犀星の詩がとても好きです。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

今回母校の跡地を見てこの詩を思い出しました。

母校とふるさとではまったく違うものではありますが・・ ところでこの詩ですが、私はふるさとを懐かしむ美しい詩だとばかり思っていたのですが、調べてみたところ、違う説もあるようですね、知らなかった。

個人的には生まれ故郷を懐かしむふるさと賛美の歌であってほしいと思ってしまいますが、どうなのでしょうね。