千里の道をまだまだ走る~ときどきひとやすみ~

分析機器、医療機器の日英翻訳をしています。翻訳者生活10年目に入りました。翻訳や日々のつぶやき(料理・パッチワーク・読書)など、いろいろ書いていきます。

「うなぎ文」と「こんにゃく文」から考えたこと①

*旧ブログ(アメブロ)からの転載・修正記事です。

こんにちは。 今日は、前回の記事との関連で、「うなぎ文」と「こんにゃく文」について書いてみたいと思います。

さて、「うなぎ文」と「こんにゃく文」とは何でしょう?

日本語を研究、または勉強している人、日本語についての書籍を読んだことがある方には有名(?)なようです。 私は翻訳を始めてからいろいろ検索しているうちに偶然見つけました。

■うなぎ文

レストランにて。
A: 君は何を頼む?
B: 僕はうなぎだ。

この場合の「僕はうなぎだ」は、言うまでもないことですが、「僕≠うなぎ」であって、これを英訳しても「I am an eel.」と意味ではありません。

■こんにゃく文

「こんにゃくは食べても太らない」

これも言うまでもなく、「こんにゃくが太ったりやせたりする」わけではなく、「こんにゃくなら食べても太らない」という意味です。


私は日本語についてはまだ全然勉強できていないので、あまり詳しくは書けませんが、この「うなぎ文」と「こんにゃく文」からはいろいろなことがわかると思います。

「~は」は必ずしも文章の主語となるとは限らない

日本語の字面だけみて英語にしようとすると、おかしな文になる」・・・のよいお手本だと思いました。

さて、娘の英作文。

焼肉に行った。
(私は)とても面白かった。

これを娘はこう書きました。

I went to Yakiniku.
I was interesting.

この場合は、「うなぎ文」と「こんにゃく文」とは少し違いますが、日本語の字面通り訳したらいけない・・という、これもいい例だったのではないかと思います。


さて、今回、英文を書くにあたり、問題だったと反省した点は、
英語で言いたい内容を先に日本語で書いてしまったこと

前にも書きましたが、私は読み書き重視で英語を学んできてしまっため、子供たちには耳から英語が入るように・・と英語を学ぶ環境を選んできたつもりです。 でも、ここで日記を書くにあたり、日本語を介した時点で、日本語⇒英語の翻訳作業をすることになってしまいました。(それが必ずしも悪いことではないのですが)

子供たちにまずやってもらいたいことは、自分が言いたいこと、イメージしたことを英語で伝えられるようになること。

将来翻訳の仕事をしたいなら別として、英語で伝えたいことは、できるだけ日本語を介さずに、英語で正しく言えるようにしていかなくてはいけないと思いました。


ところで、読み書き重視できた私ですが、英語を読むとき、聴いたときには、私は日本語を思い浮かべることはしません。

その理由は、高校に入学した時に、最初のオリエンテーションで言われたからです。

英語は英語だけで理解しましょう。英語は英語だけで話しましょう。
これまで中学では文法を中心に、英語を日本語に直して考える、日本語を英語にする・・というやり方をしてきたけれど、これからは英語を読む時、聞くときに、頭の中で日本語に直してから理解したり、話すときに話したいことをまず日本語にするのはやめましょう
日本語にした段階で余計な作業が増えて、理解するのも話すのにも支障が出てきます。

・・といった話をされたような記憶が残っています。

そういうわけで私は英語を日本語に翻訳するというのはほとんどしなくて、母に「これ翻訳して」と誰かの手紙の翻訳を頼まれた時にも「~みたいなことが書いてあるよ」としか言わなかったのですが、そうすると、「おまえは翻訳家にはなれない」とよく言われたものです。
自分がまさか20年後に翻訳に関わるとは思ってもなかったのですが、それはまた別のお話です。

英語は英語で考える。
最近よく耳にする「英語脳」というものでしょうか。
私にもこの部分については基本くらいはあるはずなのですが、スピーキングとリスニングが苦手なのは、苦手意識が強いからか、これまで使おうとしてこなかったからなのか。
もう一度できることをやってみようと、自分のことと、そして子供の今後のことも考えつつ、こんな本を読み始めました。

まだ3分の1しか読めていませんが、 「英語は英語で考える。日本語は介さない。」 と書かれています。
ここまではいい感じです。
この後、どういう内容が書かれているのか、早く読んでみようと思います。