千里の道をまだまだ走る~ときどきひとやすみ~

分析機器、医療機器の日英翻訳をしています。翻訳者生活10年目に入りました。翻訳や日々のつぶやき(料理・パッチワーク・読書)など、いろいろ書いていきます。

昔の給料明細を処分しました

社会人として働き始めたのが1999年のこと。
それから2014年に退職するまでに2つの会社で働きましたが、そこでもらっていたお給料の明細を今まで捨てずに残してありました。

でも、もう残しておいても仕方ないので、思い切ってシュレッダーにかけることに。

 輪ゴムが劣化してる・・

途中2回の産休・育休をはさんで15年分。
もともと私はお金の計算が適当で、お給料明細なんてほとんど確認したことがありませんでした。
こんなこと書いたら呆れられてしまいそうですが、振込額と明細書に書かれた支給額が同じかどうかとか、タイムカードの時間と明細に記載されている時間があっているかどうかを確認したことは一度もなく、もらった明細自体もほとんど見たことがありませんでした。未開封のものも結構ありました・・。
必要な時に必要なものが買えればいい・・というくらいな感じで、何も考えてなかったのだと思います。(夫がとても堅実な人なので結婚してからはさすがにそんなどんぶり勘定はしていませんが💦)

一番もらっていたのは1社目をやめる直前。
結構もらっていた記憶はあったのですが、よく見たら残業時間がすごかった。
残業時間が80時間を超える月が続き、100時間を超えている月もありました。
私は通勤に片道2時間かかっていたので、終電で家に帰って朝は早く出る‥という毎日で、今から思えばとんでもない生活だったなと思います。

今は残業の規制が厳しくなっているのでこんな働き方はできない(表向きは?)と思いますし、子供がいてこんな働き方はないなと思います。

今回あらためてびっくりしたのは2社目のお給料明細。
2社目ではフルタイムで働いたのは最初の1年半くらいで、子供が生まれてからは在宅&時短勤務で1日5時間(7:30-12:30)勤務が基本でした。
子供の病院などがあれば都合にあわせて午後や昼間作業してもOK、5時間を超えた分も請求すればその分支給してもらえるという、なんともありがたい働き方でした。
結局2014年まで続けた後、会社の業績不振で在宅&時短勤務の社員が一斉にリストラされてしまうことになったのですが、まあそれはいいとして、注目すべきはそのお給料。

それなりにもらっているような気がしていた1社目よりも年収ベースで少しアップしたはずの状態が2社目だったにもかかわらず、思ったよりももらっていませんでした。(2社目に移る時にもっと交渉すればよかったなとか、今更思ったり💦)
要するに、1社目も2社目も残業で稼いでいたわけですね。

そして、この時のお給料と今もらっているお給料を見比べた時に、時給換算しても大差はありませんでした。

会社員の時のお給料を神聖視(笑)しすぎてたことが、今になって発覚💦

うーん、「昔のお給料、思ったほどよくなかった」と嘆くべきであって、「今のお給料、それほど悪くない」なんて、とても喜んでいられません💦

なんとなく、「社員時代のお給料」を目標にしてしまっていたのですが、よく見たら今と変わらないレベル。これを目標にしても全く意味がありません。(時代も違いますしね💦)

この明細の金額を控えておくか最初は迷っていたのですが、意味がないのでそのまま全部シュレッダーにかけてしまいました。

もっと若い時から自分の働く時間の対価をもっときちんと見ておくべきだなと、改めて思いました。(遅すぎる)

そういえば先日娘(高2)が、「私の時給、〇〇円(2桁前半)」と言っていました💦
朝早く帰宅が遅い娘を見て「学校、部活、塾の生活が残業続きのサラリーマンみたいだね」と言った後に出てきた言葉なのですが、アルバイトをしているわけでもないのに何の計算かと思ったら、勉強を「仕事」として考えて、学校で勉強する時間を「労働時間」として、お小遣いを「収入」として計算したそうな。

好きなことをやりたくて今の高校に入って、大学に行きたいからお金を親に出してもらって塾にも行っているんだからそれはないでしょ・・・という話なのですが、まあ、私も自分の時間単価を早くから意識しておけばよかったなと、改めて思ったのでした。