先週、翻訳祭2023のアーカイブ配信が終了となりました。
途中で感想記事を書くよりも、とにかく視聴を優先しました。おかげで聞きたかったものは一通り視聴できたのではないかと思います。
さて、今回は、「サステナブルな翻訳者になるための危機管理 ―翻訳者の曲がり角―」について書いてみます。
概要
フリーランスの翻訳者は家庭と両立しやすいと思われがちだけれど、それは本当なのか?
子育て、介護、自分の病気など、翻訳者としてのキャリアがゆらぐようなイベントが次々と起きる中、現場で活躍する翻訳者の方々がどのように問題を乗り越え、仕事を継続していったのか?
事前アンケートの集計結果から、いろいろな方の対処方法を見ていきました。
感想
今回、翻訳祭の事前・事後アンケートにはほとんど回答できませんでした。
今回のプログラムのように、アンケートの集計結果を見ながら進められていくプログラムが今年はいくつかあったのですが、どれもとても参考になるものばかりでした。また、今回のプログラムからは、人の体験談を聞いたり、周りの手をかりることの大切さを改めて感じました。
それだけに、アンケートに回答しなかったことが悔やまれます。以後、翻訳者の実態調査的なアンケートには、必ず参加するようにします。
もう少し男性の回答も聞いてみたいと思いました。でも、いろいろな事情を考えると仕方のないことなのかもしれませんね。
フリーランス翻訳者は確かに時間の融通はきくのかもしれませんが、会社員のような保証制度(産休・育休・傷病手当・失業手当・介護休暇など)がない上に、仕事がなくなるかもしれないという不安が常につきまとい、本当に大変な仕事だと改めて思いました。でもそんな状況にあっても翻訳をやめるという道を選ばず、どうにか両立する道を模索したという話を聞くと、自分がそういう立場になった時も何とかして道を探っていけば続けられるはずだと、とても励みになります。
私自身は子育ての半分くらいは会社員としての恩恵をフルで受けることができたし、今では子供たちもだいぶ大きくなって子育ても残りもあともうすこしというところまできています。
今後は介護や自分の病気にどう向き合っていくか、自分の働き方も含めてしっかり考えないといけませんね。
さて、これで終わり、というのもちょっとイマイチな気がするので、自分のことについて少し振り返ってみたいと思います。
自分の振り返り
介護、自分の病気
私自身、子育ては経験していますが、介護とは未経験です。
自分や夫の両親はいつまでも元気な気がしていたのですが、今年は両家の両親とも特に老いを感じさせられた1年でした。今後はこれまで以上に現実として考えていかなくてはなりません。
とにかく支援については使えるものはすべて使う、自分の精神面の維持にも注意、お金も大事!という意見がありましたので、それについてはよく覚えておこうと思います。
そして、どういう形であれ、翻訳の仕事は続けていこうと改めて思いました。
そうそう、自分の病気にも気をつけないといけないのですが、健康とは程遠い生活、体型です。なんとかせねば・・。
子育て
上の子(現高3)が4年生になるまで、翻訳会社の正社員として働いていました。
保証があること、お給料が安定していること、仕事をある程度時間で区切れること、
この3つが社員として働く最大のメリットでした。。
妊娠から出産まで
翻訳会社は新卒で入社し、子供ができる2年ほど前に2社目の翻訳会社に転職しました。
早朝から深夜まで、プロジェクト管理をはじめとした作業をバリバリこなしていました。
子供が欲しいなと思った時期にちょうど在宅ワークをメインにする社員を実験的に導入する話があったので手を挙げて参加し、妊娠を機に本格的に在宅勤務へ移行しました。
在宅ワークでは、全体管理や営業的な仕事など対面でのコミュニケーションが必要な業務が難しくなったため、チェックを含む品質管理や機械操作といった、全体の中の一部の作業へと仕事が変わりました。
正直、他の会社で働いている社員を見て、大きなプロジェクトに関われることをうらやましく思ったこともあるし、自分の存在がわすれられてしまっているのではないかと思ったこともありましたが、メリットの方が大きかったこともあり、「今は仕方ない、むしろラッキー♪」だと思って割り切ることができました。
産休も育児休暇もフルで取得できたため、手当をもらいながら余裕をもって子供に向きあうことができたのはとても良かったと思います。
保育園問題
さて、1年経って仕事に復帰をすることになったときに、問題になったのは、やはり保育園問題。
残念ですが、保育園には受け入れてもらえませんでした。
「お母さん(=私)が家にいるなら子供が寝ている間か遊ばせながら仕事をやってください」ということなようで、受けてもらえるのは週2回か3回の一時預かりのみ・・といった、限定的なものでした。
同居の母が当時まだ50代で仕事をしていなかったこともあり、親に子供の面倒を見てもらえ、ということもあったようです。
そういうわけで、会社と交渉しました。
正社員としてのギリギリの勤務時間(正社員の規定が5時間)まで減らし、「勤務は7:30-12:30の5時間で」という、かなり無茶な要望でした。でも、その会社はまだ新しい会社だったこと、そして私が出産第一号だったこともあり、今後の女性が増えることを見越して対応してくれたのは相当ラッキーだったと思います。(でも結局は経営が悪化したときに真っ先に切られてしまったわけで、中にいる人からはある意味不満の多い働き方だったのかもしれませんね・・。)
結局午前中は子供の面倒は母に診てもらうことになりました。
午後は私が自分で見れたので、近くの公園にいったり、育児支援センターにいったりして、子供同士、ママ同士の交流を深めたりもできました。
途中2人目が生まれた時も、しっかり産休、育休を取って1年後に復帰しましたが、途中で東日本大震災やリーマンショックを経て会社の経営状態が悪くなり、結局は、わたしを含めた女性在宅社員数名は、みんな切られてしまうことに。
その後すぐに、派遣の翻訳者として仕事をすることになり、今に至ります。
午前のみの仕事を当分続けるつもりだったので、突然フルタイム勤務をすることにになり、困ったのは、子供の帰宅後の対応と、習い事の送り迎え。
帰ってきた後の時間の過ごし方(一緒に必ずおやつを食べる、携帯・ゲーム漬けにならないようにする、勉強の習慣をつける)とか、習い事の送迎とか、いろいろ考えることが山積みでした。
我が家は田舎なので、塾や習い事の送り迎えは必須です。土日に変えられるものは変更し、同じ習い事をしている友達に送迎をお願いしたものもありました。また、両親の力も借りました。
自分が子供にやってあげたかったのにできなくなってしまったこともありますが、仕事を変えたからこそできたこと、得たものもたくさんありました。
あえて自分のことについて1つだけ挙げるなら、自分から望んだことではなかったとはいえ、「翻訳に関わる仕事」から「翻訳をする仕事」へシフトできたこと、でしょうか?これは、本当に大きかったと思います。
家にいる時間が激減してしまった代わりに、夕飯だけはみんなでいつもおいしいものを食べられるように頑張りました。手間はかかりますが、作るのも食べるのも大好きなので、苦にならなかったから頑張れているのかも。
結局副業も始め、いつも忙しい忙しいと時間に追われた生活をしていますが、その時々の生活の中で自分ができる限りのことはやってきたので、私としてはまあ悔いはありません。無理すればもっとできたこともあったかもしれませんけどね。
受験
中3息子と高3娘はただいま受験勉強真っただ中です。
昔は、子供が大きくなればどんどん楽になっていくのかと思っていましたが、とんでもなかった。
小さいうちは、身の周りのお世話と遊び相手をするだけで済んでいましたが、年を重ねるごとに、お世話は少し楽になったものの、別の面が大変になってきました。いろいろ話を悩みを聞いたり励ましたり、相談に乗ったり、精神面でのサポートもかなり重要で、楽にはなかなかなりません。
来年初めに本番を控え、我が家では日に日に緊張感が高まってきています。
本業を減らすわけにはいきませんが、年明けの副業は、しばらく控えめにするとを先方には伝えてあります。
私が何か代わりにできるものはないのですが、話を聞いたり、勉強の合間に一緒にお茶を飲んだりするくらいはできるかなと。
もしかしたらお仕事もらえなくなるかも…と思わないでもないのですが、上の子の高校受験の時にも同じようお願いしたのですが、その時期が過ぎた後はまた継続してお仕事をいただけるようになったので、今回もまたいただけることを期待しつつ、連絡をしたのでした。
そう、今回のプログラムでも、「自分の状況を伝えることが大事」という話がありましたね。
今後もずっと今の状態が続くわけではなく、介護やもっと大変な問題が降りかかってくることがあるかもしれませんが、その都度何とか状況に合わせて、自分の働き方や量を調整していけばいいのかなと思います。
それでもらえる仕事がなくなってしまったのなら、もうやめどき、あきらめ時なのかなと思うことにします。
それまでは、できるだけ長く続けていきたいですね、翻訳のお仕事を。